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国産スクリーン印刷機誕生秘話1

~国産スクリーン印刷機誕生秘話~
<昭和55年6月3日火曜日 日本工業新聞>

電子を刷る① ニューロング精密工業

技術に対する関心が、今日ほど高まった時代はなかったように思う。
ほとんどの人が、何らかの形で技術と接し興味を持っている。
国も企業も、そして個人も技術によってしか生きのびられないと考えざるを得ない時代であれば、それも当然のことかもしれない。
 
とはいえ、次のようなこともいえそうな気がする。自分と直接のかかわりのない技術に対しては比較的興味を持っていない、と。
 
例題をひとつ出そう。身近にふんだんにある各種飲料水の容器で、ガラスやブリキに直接、いろいろな印刷がなされたものがある。あの印刷は、どういう技術によるかをご存知だろうか。また、テレビやラジカセ、あるいは電卓の各部位にある説明や指示の印刷の技術は・・・。
 
あまりにも身近なゆえに、考えてもみようと思わないだろうが、これらはスクリーン印刷という技術によって初めて可能なのである。スクリーン印刷が、どのような技術であるかまで知って欲しいのではない。ただ、私たちの生活のまわりには、色々な技術があるという事実を、もういちど思いかえしてもらいたいと思うだけである。
 
ニューロング精密工業。東京・品川に本社を構えるスクリーン印刷用専門機械のトップメーカーである。社長の井上貴靖が、戦後三十年の長い時間をかけ、一歩一歩地道な努力を傾けて育て、今日の地位を得た。
 
資本金四千万円。年間売上高約十一億円(昭和五十四年度実績)。社長以下六十三人の小集団だが、その技術力は、断然、他を圧してユニークな【技術集団】を形成している。
 
確かに年商十億円前後の企業は他に多くある。だがスクリーン印刷の分野では、ニューロング精密工業は、その企業スケールにおいても群を抜いている。
昭和55年6月16日月曜日 日本工業新聞
「この業界では、資本金が五百万円から一千万円までの企業がほとんどなんです。ですからウチの四千万円というのも特に大きいほうなんです」
 
井上は、素直にこういう。
 
特殊な技術の分野に挑戦し、かつ発展を続けてきている会社には、ニューロング精密工業のようなスケールの会社が少なくない。決して華やかな脚光を浴びることはないが、一歩一歩、足元を固めながら階段を登り、着実に成長していくのである。
 
脚光を浴びる機会に恵まれないのは、こうした分野の技術は、たいていの場合、縁の下の役割を分担していることが多いという事実に基づいている。従って、そのことが、その会社の保持する技術力や、果たしている役割に対する評価を損なうことはない。

例えば、今日、最先端技術としてもてはやされている技術に、コンピュータによって象徴される電子工業技術がある。

とくに、ICからLSIに至る半導体素子の驚異的な発展が話題を集め、注目されている。だが、この驚異的発展の陰でスクリーン印刷の技術が大きな役割を果たしているのである。半導体のチップは一センチに満たない超小型だ。その盤上にどれだけ多くの素子を乗せ配線を可能にするかが技術の最大のポイントになる。その素子を生かす決め手になっているのがスクリーン印刷の技術なのだ。
 
「スクリーン印刷の技術がなければ、今日の電子工業界の発展はなかったというのが、確かに世間一般の一つの定着した評価なのです」(井上)
 
昭和三十九年十一月、平面スクリーン印刷機の一号機を世に送り出して以来、一貫してその技術開発に努力し、今日の電子工業界発展の一つの礎石の役割を十分にになうまでに成長した。
 
(敬称略)
<文・道田 国雄>
 
昭和55年6月3日~16日まで、2週間にわたって日本工業新聞(現:FujiSankei Business i.)に掲載された記事を、許可を得て転載しています。
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